平福寺観音堂

 戦国時代には、戦火で堂宇を焼失しましたが、天正三年(一五七五)武田勝頼によって再興され、江戸時代には松本藩主の祈願寺になっていました。藩主が祈願に訪れることもあり、歴代住職は松本城にて祈祷を納めました。「長尾のお観音様」として人々に広く親しまれ、嘉永二年(一八四九)の御開帳には松本平一帯から大勢の参詣者があったと伝わっています。

 以前は四万五九九九坪(約十五㌶)と広大な境内でありましたが、明治五年(一八七二)廃仏毀釈により観音堂を残して廃寺となりました。その後、明治十八年(一八八五)に再興し、現在に至ります。昭和五十二年(一九七七)には観音堂に安置されている秘仏『木造聖観音菩薩立像』が県宝に指定されています。